肺癌入院の記録~手術・退院編(1997)

8/25 いよいよ手術じゃ~
6:00 起床とともに浣腸 (*_*)
かわいい看護婦さん(大木さ~ん!)が「いいですか~?」といった直後にプス...おっ、きたきた~...約2分間の我慢の後、はててしまいました...早漏かなぁ(笑)
8:00 手術室への出発準備
T字帯というガーゼでできたフンドシ状のものをつけ、そのうえに寝間着(浴衣)を羽織ります。
8:30 手術室へ出発
病棟のナースステーション横の処置室で目茶苦茶痛い基礎麻酔注射後、輸送車(ベッド)に乗って手術室に運ばれます。
手術室は4階の...4番手術室...ちと縁起悪くない(^_^;)
9:00 手術開始
手術室に入る時には寝間着も脱いでT字帯だけ (*_*)
全身麻酔前に手術後の痛み止め用の硬膜外麻酔というのを背中に行います。ベッド上で横を向いて背中を丸めてジッとしてるわけです。手術室担当の看護婦さんがT字帯だけの丸まった私を動かないように抱え込むように押さえていてくれます。おっ、看護婦さんの胸の膨らみを感じます...ラッキー (^^)v
でも残念ながら、術後、麻酔から覚めてみると、ここまでしか覚えてないんです~、残念 (^_^;)
12:00 手術終了~ICU
この時間かどうかわかりませんが、午前中に手術は終わり、集中治療室(ICU)へ。
全身麻酔が覚めた時刻は覚えてません。女房がICUに面会に来て、私もそれなりに受け答えしていたそうなんですが、これも覚えてません。早い話、いつもの飲んだ後の私と同じ状態だったようです(笑)

麻酔から覚めても時間がわからん (*_*) そのうちまた寝てしまいまして次に目覚めたら、さっきより少し明るい...看護婦さんが私の近くに居たので「おはようございま~す」と言ったら「午前2時なんですけど」と言われてしまった (*_*) 単に目が覚めた時点で点灯されていた蛍光燈が多かっただけみたい(笑)

しかし麻酔があるから寝ていられたようなもんで、麻酔から覚めると右肩がすごい痛い。右脇~背中あたりを開いたようなんです。つまり右腕が邪魔なんですね。そんじゃ取っちゃえ~なんてできませんから手術中(2~3時間)右腕は頭の方に不自然な形であったんでしょうね。とにかく鎖骨付近、それと右首筋がカンカンに凝ってました(この凝りは退院あたりまで続いてました)。そして背中の右肩甲骨の上には開いたあと、右脇腹からは術後の血液・体液を出す管が出ています。布団に背中(肩甲骨)が当たって痛いけど、管がある関係で右脇の場所はあまり動かせない。痛み止めを入れてもらいつつ、眠ったり目が覚めたりが翌朝まで続きます。
8/26 Return To 病棟
ICUで朝食を食べ(実際は喉が渇いていたので牛乳を飲んで、お粥をほんの少し口に入れただけ)、11:00前に病棟に戻りました。
ICUのベッド→輸送車(ベッド)→病室のベッドと患者(私)を乗せかえるのって看護婦さんだけでやるんですね。看護婦さん数人がベッドによじ登る人もありなんかで「いっせ~のせっ」「よいしょ~」...ここでもかわいい顔に隠された一面を見てみました。

しかし、看護婦さんが近くで居ますと何か話さないといけないんじゃないかという強迫観念にかられる(笑)私は(さすがにICUでは他の患者さんに迷惑なんで必要最小限の会話しかしませんでしたけどね)輸送車の上、病棟に戻って個室に移されてからも、いろいろと喋っていたようです。痛みを紛らわすためだったのかもしれませんが看護婦さんが「ICUから戻ってきて、これだけ喋った人初めて」とか言ってたような (^_^;)
8/27 術後2日
食欲は完全復活...糖尿の疑いがあり食餌療法中なんで 1800kcalなのが残念ですが (^_^;)
オシッコをとるための膀胱からの管が外され個室内の歩行が可能になりました。この管を抜く時って、変な感触 (*_*) 看護婦さん(工藤さ~ん!)に管を抜かれるのって、やっぱり恥ずかしいもんですね。
個室内だけの移動ですが、胸のパイプからつながったチェスト・ドレーン・バッグ、点滴、酸素とともに移動...意外と大変。
8/28 再度4人部屋へ
手術前に居た4人部屋は年齢的には50代くらいの人が中心だったんですが、私同様、入院まで働いていたという人が2人いて、わりと話しやすい雰囲気だったんですが、今回の部屋は若く見ても60代後半(?)、午前中に部屋を移動して、挨拶でもと思ったら全員寝てました(*_*)
ここだけの話ですが、咳払いや痰の絡み等は病人ですからしかたがないんですが、寝言・独り言が多い (*_*) 家族が面会に来て話していても「私が何時でも一家の主である」という口調&耳が遠いこともあるんでしょうが大きな声。これらに悩まされる日々が続きました。しかたがないんで、以前の部屋に遊びに行ったりもしてました。
8/29 悲惨な姿最後の日(?)
夕方というか夜というかMAOさんと∞ヴァフィさんが見舞いに来てくれました。遅い時間に申し訳ない。
でもお二人は貴重な見舞いでした。だって、∞ヴァフィさんがカバンと間違えたチェスト・ドレーン・バッグや点滴の針は翌日なくなったんですから。
8/30 体が軽くなっていく~
体重がどうのこうのじゃなくて、先にも書きましたが、術後、切除跡から出ていた血液・体液が体内で吸収できるレベルまで落ちたとかで、右脇から出ていたパイプおよびチェスト・ドレーン・バッグとオサラバ。パイプは体内に20cm以上入っていたような気がします。抜いた後のをチラっと見ましたが、どえらい長かった。
これが抜けますと、抗生物質や止血剤が不要になるんで手術以来左手の甲に刺さっていた点滴の針も抜いてもらえました。

手術跡をデジカメで撮りました。ちょっとエグいんで要注意!→ 切り口写真へ

こうなってはジッとしてられません。荷物の中から ThinkPad を取り出して急いでグレー電話のある一階へ。約一週間ぶりのアクセスでした。帰りのエレベータで担当の医師と会って「大丈夫?」と言われました (^_^;)
看護婦さんに体も拭いてもらったし...これは毎日です、え~やろ~(笑)...ただしパンツの中は自分で拭きます (^_^;)
術後初めて髪の毛も洗ってもらったし (^_^)
やっぱり前日までの姿はデジカメで撮っておいてもらうべきやったかなぁ(笑)
おっと~、夕食後にJUNさんが登場。ここが病院でなかったら、私がパジャマでなかったら「どうです?ちょっと一杯?」という雰囲気で話してまして、違和感がないなぁ(笑)
話は変わりますが、この日の朝、術後初めて立ちました (^_^;) 手術中やICUの中でのことはわかりません(笑)
8/31~9/1 PC-VAN への書き込みより
8/31 7:42 JUNさんへの返信
回復後の元気なぜんこうに会えることを楽しみにしています。
やはり右肺下葉を切除したこともあって、肺活量が落ちています。昨日もMAOさんと∞ヴァフィさんと久々に会えて、いつもどおり話をしていたつもりなんですが、かなり後で息を切らせてました。
まぁ見た目は、入院前より小奇麗かもしれません(笑)

》 本当、私は幸せなのかもしれない。
そうなのでしょう。プラス志向、前向きの精神で行きましょう。
そう私は幸せでした...過去形になってどないすんねん(笑)
もちろんプラス志向ですよ。ガン保険の元をとったわけですから...命懸けやなぁ(笑)
先のメッセージにあったように、4階の4番手術室で手術されたわけですが、担当の医師の名前が「**完治」なんですわ。信頼できそうでっしゃろ(笑) 私の「**善行」と同じくらい(爆笑)
8/31 7:43 CAT’さんへの返信
ところで、綺麗な看護婦さんいます。(笑)
私を担当しているグループは、看護婦さん自身にきいたんですが、平均年齢24歳、一人を除いて後は独身だそうです。
大阪府出身の看護婦さんも居ます...でも標準語(と私は思っている)で話してます。
CAT’さんも、ぜひぜひ入院してください(笑)
8/31 7:43 < USA >さんへの返信
悪いところをすっきり取ったら、無くなるとか、いう噂もちらほら・・・。
まちがいなく首から上は....放っとけ~(笑)

まあ、医者に迷惑かけんように!!
手術後何度も担当の医者と会ってますが、特に不快感はないようですんで麻酔中も何もなかったと信じてます (^_^;)
酒の飲みすぎで意識を失っても女房以外からは怒られたことないですから (^_^;)
8/31 7:44 お見舞いへのお礼
29日に来ていただいたMAOさんと∞ヴァフィさん、30日に来ていただいたJUNさん。お忙しい中ありがとうございました。
肺が小さくなっていることや、手術後で体力が落ちていることもあり、いつもどおりに喋っていても、息切れしてゼーゼーいう始末(*_*)
MAOさんと∞ヴァフィさんの時は、短時間(?)だったけど入院以来これだけ話をしたのは初めてかな?あの後、病室に戻ってしばらく横になってました (^_^;)
JUNさんの時は、仕事関係の先客が来て、かなり話し込んだ後だったんで私のほうにあまりが元気が残っていなかったんじゃないかな?すんませんでした。
9/1 7:41 嵯 山さんへの返信
看護婦さんの身の上調査まで話が進んでる様なら、大安心ですわ。
そのうちに身の上相談とか(笑)身の下相談とか (^_^;)

見かねて「手伝おうか?」って云えば、「仕事ですから・・」ってピシャリと云われてしもうた事が有ります。(国立病院)
一般の病院では「御家族の方、ちょっと患者さんの身体支えてて下さい」って頼まれた事も有ります。(私立病院)
事務員の対応は、この病院も「さすが役所~、最低の接客~」と感じさせることが多いですが、スタッフは一流のサービスですね。ただし、病院でもあり研究施設でもあるので悪い面もあります。
私なんかのように癌を切除する場合は、当然、完治させて返すパターンになるんですが、各所に転移しているとか、手術するのが困難な個所に癌があるとかの場合、抗がん剤での治療となります。
この場合、話すと長いんですが、簡単に言うと臨床試験みたいなもんで、その治療方法が正しかったかどうかが試され、完治しないでも、いい方向に進んだら退院させられるとか聞いたことあります。
その治療をやっている人に言わせると「私らはモルモットですよ」ということです。

私なんかは手術前後、何やかんやで1ヶ月くらいで退院するんですが、抗がん剤治療ですと3~4ヶ月かかるのはザラ。入院希望者はかなり待っているようなんで、私なんかみたいなのから片づけられる...言い方は悪いけど、手術できるということはラッキーなんですわ。

本人は案外病院生活を楽しいんでたりして・・・(゜.゜)丿 ・・?
Yes(笑)
今日から傷の部分に防水テープを貼って、シャワーを浴びられるようになりました。看護婦さんに拭いてもらえないのが残念でなりません (^_^;)
9/1 7:41 hajimeさんへの返信
手術成功おめでとう、さすが「日本一の病院」ですね。手術後5年間は注意が必要だと聞いたことがあります、後はしっかりフォローをして完全回復して下さい。
できれば「保証書」を発行して欲しいですね(笑)次回無料券や割引券でもええけど (^_^;)
「日本一の病院」ねぇ...今日思ったんですが、これだけ巨大な病院なんですが、ここって総合病院じゃないんですよね...癌患者しかいないんですもんね...
9/1 7:41 KFUJIさんへのお見舞いお礼
病室のあるフロアーのエレベータホールで別の見舞い客の応対をしていたら、KFUJIさんがひょっこり出現しました。相変わらず元気をばらまいて歩いてました(笑)
KFUJIさんが言うのには「この病院は全然病人臭くない」とか。考えてみれば、手術直後の人を除いてほとんど自力で歩いてるし、ちゃんと風呂に入るなりシャワー浴びるなりしてるし、もしそうできなくても看護婦さんが体を拭いてくれたり、洗髪してくれたりします。
本当の(直る可能性のない?)末期患者はこの病棟にはいないしね。
そういえば不思議な病院なんでしょうかねぇ・・・私も今となれば看護付きビジネスホテルのような4人部屋(意味不明)みたいな感じですし...
まぁとにかく、遠いところ、ありがとうございました。
KFUJIさんは1998年秋にくも膜下出血のため他界されました...合掌
9/1 18:21 退院日程決定?
今日(9/1)、主治医から具体的ではありませんが、来週の早い目に退院できるんじゃないかと言われました。傷口に痛みは残っているものの、右腕がほぼ自由に動くし、キーボードをたたいて仕事もしてるし (^_^;)
最短記録とはいきませんでしたが、若い方の術後2週間コースになりそうです(笑)
明日(9/2)は久しぶりで展望風呂です (^_^)
9/? 再び元の部屋に
いつだったかのか覚えてませんが、看護婦さん(小山さ~ん!)に仕事に集中できないので、部屋替えお願いしました。
その結果、即婦長さんがやってきて、入院した時の部屋のベッドが空いているということで、元の部屋に戻ることになりました。そこの患者さんとは顔見知りということもあり、精神的にもかなり楽になりました。
ただ隣のベッドのAさんが抗がん剤治療が始まったばかりのようで食事が喉を通らないとか...お気の毒様です...
9/8 退院...シャバの空気じゃ~
雨の中、女房と女房の実家の母親とでお出迎え。午前中に無事退院できました。
ただ、手術跡がやはり痛かったです。バスや電車にゆられるだけでズキっときました。
その日は退院祝いで早速お酒を飲みました....めちゃ美味い!

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